今日は、跡市連合自治会総会に、来賓として参加し、挨拶をして帰りました。
僕の生まれ、育った、故郷です。
あといちの歴史書によれば、跡市という地名の語源は、「あど」からきている。「あど」とは、川が氾濫で土が堆積して田んぼが作られる。という意味で、「あど」が、「あと」になったと言われます。
跡市代官所があり、大正には、61軒の商家が軒連ねていました。昭和30年には、病院2院、下駄や2軒、美容院4軒、金融6軒、酒屋3軒、遊技場等日常生活に不自由することはなかった。昭和22年、跡市小学校には、児童数は、289名が、通っていました。
昭和29年、中学校建設を跡市民全体で取り組み、昭和33年に完成しました。
中学校は、21年前、2002年に青山中学校と統合し、青陵中学校になりました。私は、跡市町の有志の皆さんと反対運動を取り組みました。
小学校は、7年前に、津宮小学校と統合しました。私は、江津市議会で、跡市小学校を失くさないように、懸命に頑張り論戦と行動しました。
しかしながら、多数決で決定されました。現在の、跡市の人口は、477人までになってしまいました。
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